ドイツブランド「モーブス」の知られざる苦難の歴史と”空白の20年”を徹底解説!

モーブスを使ったコーディネイト

近年、街中で見かけることも多くなってきた「モーブス」。ドイツカラーが印象的でクラシカルな見た目から一見してセンスを感じてしまう魅力があります。

そんなモーブス。ブランド自体は90年を超える歴史があるのですが、実は日本に入ってきてからは20年経っていないという、言わば「若い」ブランドでもあります。

そんな謎多き「モーブス」について、今回は徹底的に調べつくしました!

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モーブスの歴史とは?

モーブス設立~ブランド確立

モーブスの歴史

モーブスは、1924年に創業者フリッツモーブス氏によって設立されました。これは、ダスラー兄弟がアディダス、プーマの前身である「ダスラー商会」を創業した4年後であり、まさにドイツスニーカーの夜明けの時期と重なります。

陸上のトップアスリートだったモーブス氏は、それまでの陸上スパイクに大変不満を持っており、ついには自分が欲しいシューズを自ら開発することを決意したのです。それまで陸上競技に注がれていた情熱を全て陸上に傾けた結果、素晴らしい性能のシューズの開発に成功し、瞬く間にドイツ国内での名声を獲得しました。

ベルリンオリンピックとモーブス

ベルリンオリンピックでは、ダスラー商会のシューズを差し置いて、公式シューズサプライヤーに抜擢されるなど、一時は世界に冠たるブランドとしてドイツを代表するブランドになったのです。

       

モーブスの試練1:戦争と素材不足

しかし、戦争がモーブスに暗い影をもたらします。戦争も終盤となった頃にモーブスの工場が爆撃されてしまうなど、災難が続きます。

さらに終戦後には創立者のフリッツがなくなったり、シューズの素材が不足し、様々なパーツに多量の素材を使う必要があるスニーカーが作り続けられなくなり、ラバーと革だけで作ることができるサンダル製造で倒産を凌ぐなど、試練がたて続けに降りかかりました。

その後、何とか経営を立て直し、ブランドの再興に成功。バイエルン警察官用トレーニングシューズを提供したり、1963年にはドイツサッカーリーグ”ブンデスリーガ”が開幕すると、多くの選手にモーブスのシューズが愛用され、国際的な知名度を再獲得するに至ります。

モーブスとブンデスリーガの関係

70年代には日本の「オニツカタイガー」の欧州における生産拠点になるなど、日本との交流も当時から深かったようです。

モーブスと日本のオニツカタイガーの交流

モーブスの試練2:ドイツ大不況

しかし、ついに決定的な事件が起こります。

ドイツ市場全体が大不況に見舞われ、工場が閉鎖に追い込まれたのです。これにより、一切の生産活動ができなくなったモーブスは市場から完全に撤退。以降20年にわたり、一切モーブスの商品が出回ることがなくなったのです。

創業者の孫によるブランド再興~日本上陸

完全に市場から姿を消し、幻のブランドとして忘れ去られようとしていたころ、創業者の実孫であるディルター・バール氏がブランドの再起を目指し動き出します。

モーブス復活

そして、2003年、空白の20年を乗り越えブランドが再興。同年中には日本にも上陸を果たします。日本では株式会社ヒーローインターナショナルという会社が輸入代理店を務めています。アパレル界では原宿を中心にヌーディージーンズなどを展開する同名の「ヒーローインターナショナル」も存在しますが、モーブスの権利元はそちらではなく、神戸の代理店です。

       

いかがでしたでしょうか?

モーブスの歴史、知られざる日本との関係、20年間のブランド消滅、そして復活までの物語。

モーブスのことを少し好きになっていただけたら幸いです!

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