ABCマートなど、量販店でも多く流通している「スケッチャーズ(Skechers)」。
最近では、ハリウッドセレブを起用したCMで、特にフィットネスやウォーキングなど、健康志向の女性に向けた商品で人気を博しています。
そのスケッチャーズは、比較的若いブランドではありますが、その誕生の裏には創業者の苦難の道のりがありました。
今回は、その歴史を最もわかりやすく説明します。
目次
スケッチャーズ創業物語 創業者と前身ブランド「LAギア」
スケッチャーズは1992年にアメリカ・ロサンゼルスで創業した、まだ若いブランドです。
創業者は実業家のロバート・グリーンバーグ氏とその息子のマイケル・グリーンバーグ氏です。
ロバートグリーンバーグ氏は、もともとカリフォルニアで「グッドタイムス」というローラースケートレンタルショップを展開していました。
その後、1982年に女性向けのセレクトショップ「L.A. Gear(LAギア)」をオープン。当初は、他社製品の販売のみでしたが、1985年に自社企画アパレル、特にスニーカーの企画・製造を開始しました。
シンプルな白スニーカーをカラフルなシューレースに交換したり、カラフルなラメを散りばめたりと女性の好みを徹底的に分析した商品開発力で80年代に爆発的な人気を獲得。日本でもアシックスが代理店となり世界展開を果たしました。
そして、創業からわずか4年で上場も果たし、全米でナイキ、リーボックに次ぐ売り上げ第三位のメーカーに躍進したのです。
LAギアの躍進の秘密はスポーツ選手や著名人との専属契約の獲得だった
LAギアはその拡大のために、スポーツシューズの常套手段であるシグニチャー路線(スポーツ選手・著名人とのタイアップ)をとります。しかも、その手段は禁断ともいえる方法で、他社と契約している有名選手を金の力で奪い取るという方法でした。
▽LAギアと契約したスポーツ選手一例
- カリーム・アブドゥル・ジャバー(NBA)
- アキーム・オラジュワン(NBA)
- カール・マローン(NBA)
- ウェイン・グレツキー(NHL)
- ジョー・モンタナ(NFL)
▽LAギアと契約した芸能人・著名人一例
- プリシラ・プレスリー
- ベリンダ・カーライル
- ポーラ・アブドゥル
- マイケル・ジャクソン
これにより80年代のアメリカでその名をとどろかせたのです。
有名選手との高額な契約料のせいで一転大赤字に
しかし、物事はうまくばかりはいかないもので、1991年には一転大赤字を記録してしまいます。
その理由としては、スポーツ選手や著名人との契約料が高すぎたことと、マイケルジャクソンとのコラボが失敗したことが挙げられます。
そして、翌年1992年には、大赤字の責任を取らされる形でロバート・グリーンバーグは経営を外されます。
この1992年という数字、どこかで見おぼえありませんか?そうです。スケッチャーズの創業年です。
赤字の責任を取らされたグリーンバーグ親子がリベンジのために立ち上げたのが、「スケッチャーズ」なのです。
ちなみに、創業者を追い出したLAギア社は1998年にはついに倒産してしまいました。
「コンフォート(快適)」をテーマにスケッチャーズを展開
スケッチャーズは、LAギアで培った女性向けのマーケティング手法をもとにしたカジュアル路線で企画・開発力を生かしシューズの製造を開始します。
シューズのテーマは「コンフォート(快適さ)」。
ハイテク&スポーツ路線一辺倒だった「LAギア」時代の反省から、より親しみやすいファッションシューズをリリースしました。
その後、フィットネスブームに乗り、GoOut、GoWalkなどのスポーツシューズをリリース。フィットネス路線のスニーカーが大ヒットしたことで、再び世界的な知名度を獲得しました。
そして、近年ではハリウッドセレブなどとのコラボCMを展開しています。ここら辺のノウハウはLAギア時代の経験が生きていると言えます。
まとめ
スケッチャーズは1992年と若いブランドではありますが、実はLAギアというハイテクシューズブランドが原型になっていました。
そして、会社から追い出されたことのリベンジで立ち上げたのがスケッチャーズでした。
スケッチャーズは、若い女性のカジュアルシューズやフィットネスシューズ路線で人気を拡大。今後も過去の反省を生かして堅実に拡大していくでしょう!